【伝統文化】【推心置腹】 誠心誠意を持って人に接すること

山水伝統文化

 中国西漢の末年、王莽(おう・もう)は当時の王位を簒奪し「新朝」を創り皇帝になった。王莽は政策の改革を行なったが、煩瑣で厳しい政令で人々の生活はさらに困り苦しんだため、新朝政権を覆そうとする民衆が各地で反乱を起こし、劉玄(りゅう・げん)を擁立し「更始皇帝(こうしこうてい)」にした。当時、「邯鄲(ハンダン)の戦」で王莽の軍を破った慎重な性格で評判のあった劉秀(りゅう・しゅう)の戦績を称え、更始皇帝・劉玄が劉秀に「蕭王(しょう・おう)」の称号を与えた。

 その後、劉秀がさらに強力な敵「銅馬軍」を破り、その他の群雄割拠をも次々と破り降参させた。劉秀は降参した敗軍らを自分の部隊に組み込み、降参した元リーダたちに官職を与えた。しかし、敗軍の将たちはこれまで劉秀とは敵対した相手だったことから、劉秀はいずれ自分たちを殺害すると不安と疑心の日々を過ごしていた。

 一方、劉秀も彼らの内心の不安を察し、彼らが率いていた元の軍隊に戻し、自分は僅かな人員だけを連れて各軍営を巡視することにした。敗軍の将たちは自分たちに全く警戒しない上、信用してくれた劉秀に対して、「蕭王は自らの誠心を他人の腹に置いてくれている以上、わが身を顧みずに尽力するほかならぬ」と思うようになり、全員が安心して劉秀に服従するようになった。

 劉秀は王莽による簒奪後の後漢時代の混乱を統一し、漢の王朝を再興し、後漢王朝を建て漢光武帝になった人物だ。

 後人はこの物語から、「推心置腹」をことわざとし、後世に伝えた。即ち、誠心誠意を持って人に接すること。

(翻訳編集・豊山)

転載https://www.epochtimes.jp/jp/2009/11/html/d12078.html

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